15年経っても何も変わらない自分が居るわけで。

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当時の写真はここが小さいことから大きなことまで載っています。
フィルムの感じがまた、15年の歳月を伺わせます。
Hazard Photo Database of Hanshin Great Earthquake

今、記憶をたどって、あの日を。
15年後の備忘録。
長文。

私の住んでいる地域では震度4でした。
私はまだ小学生でした。
私の家では幸いにも、ほとんど被害はありませんでした。
皿が2枚割れただけでした。

今でもなのですが、私はとても寝起きが悪いのです。
私は、母親がギャーギャー喚いている声で起きました。
そのため、地震がどれくらい揺れたのかは記憶にありません。

テレビをつけると地震速報をやっていました。
そういえば、あの時はソニーのブラウン管のテレビでした。
神戸に今まで見たことの無い数字が出ていました。
ちょっと驚きましたが眠たいので寝ました。

朝起きるとニュースが地震ばかりでした。
驚きの内容が報道されていました。
父親は大阪の職場へ自動車で行きました。
今は亡き祖父は庭の確認をしていました。
祖母、母親は尼崎から向こうの知り合いに電話をかけていました。
どうも繋がらないようでした。

朝のニュースはエゲツない事になっていました。
私の家では、おは朝を見ているのですが、宮根さんが珍しく悲壮感のある声を出していました。
画面には信じられない、映画の中のような風景が広がっていました。
あちこちで燃えていました。
色々なものが倒れていました。

学校へ行こうとすると余震がありました。
結構長く感じました。

学校へいくと、老朽化した校舎にひび割れがありました。
ひび割れから下が見えていました。
その階段を登るのが怖くなりました。
記憶では、そのひび割れは未だに直っていません。
私も良く使う階段だったので怖かったのですが。

授業を受ける時に先生から話がありました。
「地震が起きたら机の下に逃げるんや」
「近いうちに避難訓練するで」
とか。

それでも私たちは何も変わりませんでした。
帰宅してニュースを見たら、さらに詳しい情報が流れていました。
有名な阪神高速が横倒しになっているのを見ると、寒気がしました。
つい先日そこを通ったばかりでした。

テレビでは、被害者の数が、死者の数がだんだん増えていきました。

次の日、同級生は何人かいませんでした。
神戸の親族がえらいことに…という話でした。
「おうおう、新年早々大変やな」
と、完全に他人事でした。

あの時から防災グッズが増え始めました。
15年のうちに色々防災グッズが現れては消えました。
結局現在も残っていて主力に思われるのは、
家具を固定する部材くらいと考えられます。
私は未だに何もしていません。

あの時からボランティアという言葉を良く聞くようになりました。
日本のボランティア元年とされているくらいですので。
義援金という名の募金も目立つようになりました。
私は未だに入れたことはありません。

私が全く成長していない表れの例がこれです。
スマトラ地震の時、阪神の被災者とこのような会話をしました。
場面は会社のみんなで募金に応じようという話からでした。

私「お金ないしな」(100円入れる)
彼「少ないけど」(1000円入れる)
私「ちょっ、1000円て!すごいですね!(もったいない、オレにくれ!)」
彼「俺らもあの時世話になったからな。」
私「あ…そうか」

15年経っても私は変われていません。
もうちょっと考えて動かないとな、とこの日の度に思います。

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